寒いせいなのか、オミクロン株流行拡大に伴って閑散とした職場の状況のせいなのか、忙しかった先週を乗り越えたせいなのかわからないけど、木曜日に調子を崩してしまった。
どんっと体が重い。突然体だけ死んでしまってその中に魂を無理やり吹き込まれたみたい。
自分が「ものすごく怠惰で無能で時間を無駄にする碌でもない人間」なんじゃないかという焦りのような哀しみのような冷たい観念が肩の周りにはりついて剥がれない。
亡骸のことを英語でbodyと呼ぶのを知ったのは確か海外ドラマを見ていた時だった。
そんなふうにbodyって言葉を独特の冷気と共に想起する。
好きな男の子とろくに会話せず1週間が終わってしまいそうなこともどんどん心を冷やしていく。
がらんとしたオフィスで、必死に耐える。何に耐えているのかさえ考えないように、必死に耐える。
家に帰って、入浴剤を入れた温かいお風呂に浸かったのに、ぎこちない関節人形みたいな気分が全然消えない。
もう、お風呂に入ってもダメなら、何をしてもダメだ。
大人しく死体の気分で布団に潜る。
体と心を良い状態に持っていこうとするのに力を使って疲れた。
こういう状態が長らくつづき常態化していた頃のことを思い出すと怖くて泣きそうになる。
きっとこれは一時的なもので、明日か明後日には体の冷たさが消えて生きた体に戻れるはずだ。
死体みたいな日があってもいい、と思うことで少しだけ胸のあたりの重苦しさが溶け幾分か気分がマシになる。
tentativeな死体の状態を受け入れることにする。
全部寒いのが良くない。
少しだけ、好きな男の子に会えないのが関係しているかもしれない。
野菜や炭水化物ばかりで肉を食べていないのも何か関係してるかもしれない。
好きな男の子に会いたいな。
気持ちが弱ってるのでそう思うとちょっと涙が出た。
弱り切った心で眠りにおちた先、高校生か大学一年生くらいの体に戻っていて、ぬるい夏の昼間、海が見える無人駅のホームのベンチで、フジファブリックの志村さんが亡くなっちゃったのを、紫陽花見ながら悼んでいる夢みた。
さみしいのに清涼感と温かみのある夢だった。夏の午後のけだるさに、戻ってこない季節への憧憬。
天国という場所が人それぞれのものであるなら、志村さんの天国は、ぬるい夏の昼間、あじさいを眺めながら楽しめる場所なのかもしれない。
私の天国はどんなところだろう。