ここから一番遠い海

夢日記,昔話

鯖みそ v0.9.1- prerelease

さばの味噌煮がかなりしょっぱい。料理をそれなりにうまくできるようになってきたとこないだ書いたばっかりだってのにこの体たらくだ。

このレシピはもう少し改良の余地があるわね、なんて考えながら、改良過程をgitでヴァージョン管理したら便利だろうな、とか一瞬考えてみる。リポジトリ鯖みそ、version: v0.9.1-prereleaseとかね。が、一瞬でその思考を手放す。私はそういう「理系専門職の人が自分の仕事で使っているスキル・ノウハウを家事に全振りさせるとこうなる!!」みたいなの、ちょっと苦手だから。

Quitaとかで、ご本人たちがやっている分にはいいんだけど。なんていうか、そういう、本人たちの熱意や面白さを「理系男子の夫が」とか「理系女子が」みたいに大きなラベルでうっすく希釈したまとめ記事のあれが苦手なんですよね。

 

多分、というか、やっぱり「理系男子」とか「理系女子」みたいなあの雑なクラシフィケーションが嫌なんでしょうね。その人の中のある一部分でしかない属性をことさら大きくとらえてその人そのものであるかのようにしてしまうアレ。個々人の細やかな美しさを埋没させる「デカい主語」。学んでいる学問の系統というかなり大きな分類だけでもって、隣人と私とが同質化されるのがかなりいやなんだろうな、私が。

 

そんな風に鯖みそから主語のデカさまで思考を飛躍させる週末と、職場の人たちと河原でビールを飲む週末と、進まない恋愛にやきもきする週末とは同時進行してく。そう。人生はいつだって何かが同時進行している。

 

別に彼に「好き」とか「嫌い」とか言われたわけじゃない。遠くにデートに行ったわけでも無視されているわけでもない。

なんもない。なんもないのだ、私たちの間には。事件もイベントも何もない。

勝手に独り相撲をしている。掌で転がされているんじゃなくて勝手に掌でのたうち回っている。

手塚治虫虫プロが作った「孫悟空」のアニメで,悟空がお釈迦様にナマいって暴れまわってたのに、結局その暴れまわってた場所はお釈迦様の掌の上で、自分の何倍もデッカイスケールのお釈迦様に説教されているシーン。あれを思い出す。

 

孫悟空が自分の毛にふっと息を吹きかけると、1本1本の毛がそれぞれ小さな孫悟空になっていくシーンを思い出しながら、鯖みその鍋に髪の毛が混入したらいやだな、なんて考えて日が暮れていく。酔っぱらった体で湯船に浸かり、のぼせたタイミングで栓を抜く。素っ裸で濡れたまま、空っぽの浴槽に身を横たえる。これ、かなり退廃的だな。

 

まあそんな日もあるよね。また生き抜いていこう。