ここから一番遠い海

夢日記,昔話

装うことを軽んじない

美容師さんと「最近格好いい服装の人が少ないよね」という話をする。そう、かっこいい装いの人というのが最近かなり少ないのだ。

- とりあえずGUかユニクロ無印良品でみたいな若い人、本当につまらないよね。
- 私服の制服化も結構ですけどなんか味気ないですよね
- 無印良品っていうか無味乾燥って感じ
‐ でも、お金持ってる層、大人もひどくないすか?お金にものを言わせてとりあえずロレックス、バーキン、その他ブランドもん買っとこうとするみたいな…

 

という私たちの間で結構お決まりになっている会話をする。
貧乏な学生だった頃の経験を掘り起こせば、確かにああいったファストファッションブランドというのは、手ごろな価格でいろいろな洋服を選べる喜びがあってかなりたすかったんだけど、「そういうのばっかり」なのがどうも気になるのだ。なんていうか、内田樹のananの話を思い出す。

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とりあえずの正解を狙う、人と同じような装いで平均点を狙う、という姿勢。そういうのが装うことを軽んじる視線に見えて、そのうち生きることまで軽んじていくような気がしてかなりいやだ。たかが服の一着から、生きていくことを後押しされる力をもらうことがあるというのに。

 

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。 これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

『葉』,太宰治

 

別にこの一説は服というものの力を高く評価する文脈でのものではないが、初めてこの節を読んだ夏に、手触りの良い、深い紺色のカシミヤセーターを買った。太宰が夏までを生きようとしたみたいに、冬までしっかり生きていたかった。

 

threadsを何となく上に下にスワイプしていると、ご自身の経験・感性を基により具体的な言葉で、私の持つ違和感をすっきりさせてくれることを述べておられる投稿があって思わずブックマークボタンを押す。

 

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じゃあ、お前は魅力的な人間なのか?と問われると答えに窮する。モードと呼ばれる類のファッションを理解したくて数冊本を読んでみたけど、ああいうパワーのある服を装える収入も気概も、私にはない。

でも、なんていうか、「平均」を狙う、そういう人間ではありたくないし、平均を狙わないで生きていくことはせめてもできるよな。