ここから一番遠い海

夢日記,昔話

「オレンジジュース飲みたい」

自分が幼児の時に親や祖父母にやってしまった理不尽な仕打ちで一等鮮明に覚えているのが、「オレンジジュース飲みたい」と延々泣いていた事件。どこが酷い仕打ちかと言うと、延々泣き続ける小さい子供を気の毒に思った父親が紙パックのオレンジジュースを調達してきたのになお泣きやまないどころかオレンジジュースに口すらつけなかったというところにある。

 

あれには本当に参ったねーと物心ついて以降何度か父親に言われたが真相はこうだ。

私にとってオレンジジュースというのは祖母や祖父が甘やかしてくれている時間の象徴だったのだ。祖母が「ジュース飲むかい?」と言い重たそうな冷蔵庫の扉からバヤリースのオレンジジュースを持ち出し、鮮やかな花柄やキャラクターがプリントされたガラスのコップに注ぐ。それをぐびぐびっと遠慮もなく飲み干してまたおかわりをねだる。子供が割っても良いように、と両親がいつも使っているプラスチックのコップじゃなくて、ガラスのコップに注がれてるオレンジジュース。たまらない高揚感に満ちた魅力的な飲み物と優しい空間、美しいガラスのコップ。

 

確か最初は体が疲れてたとかそんな理由で泣いてたのに、「オレンジジュースを飲みたい」という語で要求したのと全く違うシチュエーションが提示されてかなりの違和・失望に泣くのをやめなかった記憶がある。

だいたいオレンジジュースを飲むタイミングというのが遊び疲れたり祖父の周りをうろちょろするのに飽きたり退屈したりしてる時だったのもあって、私にとってオレンジジュースを飲むと言う行為は、「漫然とした時間や遊び疲れた体にもたらされる清涼や休息」であったのだ。そんな折に、ドンと無機質に置かれた紙パックのオレンジジュース、無機質なパーキングエリアの机、祖父母の家じゃないどこか。

 

明日はクリスマスイブで、明後日の朝、「リクエスト通りのものをあげたのになぜか子供が満足しない・泣いてしまう・機嫌が悪い」とかあると思いますが、きっとそれも、「モノ」が欲しかったんじゃなくて「モノにまつわる空間や心のありよう」を欲していてそれらを全てがモノが欲しいと言うリクエストの言葉で手に入る!と無邪気に信じてるんだと思います、かつての私のように。

私の父が差し出した紙パックのオレンジジュースのように時に全く報われませんがそれは頑張りが足りないからではなくて、小さな人たちが世界を認識している方法が大人の私たちのそれとは全く違うからなんだと思います。どうか世の中のサンタさんが傷つかないクリスマスでありますように。