週末は海と月と、それから夕焼けと朝日とを見た。
オレンジや橙は特段好む色じゃないけど夕焼けに関しては別だ。
いつも手塚治虫の描いた火の鳥にあったセリフを思い出す。
「夕焼けか…ふしぎだ…
夕日なんて子どものころに見たおぼえはないはずなのに
たまらなくなつかしいのはなぜだろう?
おれの遠い遠い祖先が夕日を毎日ながめてくらした記憶がおれの心につたわっているのかなあ…」(手塚治虫,火の鳥より)
私には手塚治虫のそういうところが刻まれてる。テレビの中のお笑い芸人から流行りのギャグを教えてもらえなかったぶん、手塚治虫に夕日のオレンジ色に焦がれる気持ちを分けてもらった。
潮の香りのするホテルにつくと、あっという間に暗くなった。
しばらく待つと海に月がぽっかりと浮かんでいてたいへん美しかった。
私はこういう風景を見るとたまらなくさみしく感じる傷つきやすくてかわいい人間だったはずなのに、今回はちっとも寂しくならなかった。
隣に恋人がいたからかもしれない。二人で部屋の電気をすべて消し、カーテンをすべて開けて、月と海とを見た。
付き合う前、美しいものを見るとよく恋人のことを思った。
美しい人だと恋しく思っていた。見た目についての話じゃなくて、魂のことだ。そうやって愛している人の魂について思いをはせながらみる朝焼けや夕焼けは、ぐんと寂しく美しかった。
温泉に入る頃、月は不思議なオレンジの色になり一層美しかった。
湯気に包まれている中聞こえてくるしゃがれた女性たちの言葉はみな強い東北のなまりが感じられ、心地よかった。私はそれも美しく暖かいと感じた。
何歳なの?と聞かれた幼い女の子がはずかしさからかくるりと踵を返しその場を去っていった。こんな世の中だから知らない人に話しかけられるのが初めてなのかもしれない。どうか彼女の親がこの人たちのことを「なれなれしい」と嫌悪しませんようにと願った。
みんなはだかで、ぽっかり浮かぶオレンジ色の月の光を浴びた。
たゆたう海鳥が月の光がつくる海の道のなか羽をつくろっていた。
「海をひとつの心と思えば」という無傷ちゃんの短歌の上の句を口ずさんだ。
無傷ちゃんの短歌を見てから口ずさもうと決めていた。
彼女がどういう気持ちでこの歌を詠んだのかは知らないけれど、この上の句は私にとって蒼く美しく寂しい。傷ついた孤独な人にしか出せないいっしゅんのきらめきだ。
孤独で傷ついている人間にしか出せないきらめきがある気がする。それでもなお必死に生きようと、彼らが見出す一筋の希望が映っていそうだからなのか、それともそうやってもがく姿勢なのか、それとも。
恋人の規則的ないびきが眠りの底からゆっくりと私を呼び起こす。朝の五時に目が覚めた。
「夜明け前が一番暗い」という言葉も思い出した。確かイギリスのことわざだ。
人はずっと夕日や月や朝焼けを見てきた。そのことが染み入って感じられた。言葉が違い、時代が違い、常識が違い、こんなにも分かり合えないはずの人間同士なのに、夕日や朝焼けを美しいと感じているこころは同じだ。
お金も地位も知識も道具もいらない。この朝日という美しいショーは、皆に平等に降り注いでいる。