ここから一番遠い海

夢日記,昔話

初夢の話

1月1日、帰省している実家で家族3人が言い争った.
父と母は、寝たきりになり意識のない祖父の先がもう短いとその数週間前に告げられていた.
ずっと険悪だった父と兄の仲は、祖父の危篤を前にしても氷解しなかった.
最期のその時はそばにいてあげたい病院に通い詰めていた父親はすごく疲れていた.


どうしてそういう流れになったのか覚えていない.
でもその夜私は初めて、父に対して今までの不満をぶつけてしまった.
100%の反旗を翻した.
父は視線を斜め下に向け、怒りなのかお酒のせいなのかわからない真っ赤な顔で目を見開いていた.
何も言い返さず、硬直していた.

おせちを囲んでいるのに、照明を煌々させているのに部屋の仲は黒かった.

あんなこと言わなきゃよかった、でも言わなくてはならなかったんだ、そうするしかなかったんだ、とぐるぐるした考えで頭が妙にさえて中々眠りに着けなかった.
泣きながら床に就いたから、というのもある.


眠っているのか起きているのかよくわからないそんな頭の状態で初夢を見た.
草の生えた丘を這っていた気がする.
そばをうりぼうの群れが走っていった.

丘を越えず、下る方に体が導かれるとそこに古びた東屋があった.


東屋の4本の柱の1本の根元にやせ細った老人が体育座りをしていた.

死んではいない.けど生気が感じられない.ほとんど死んでいる、と感じた.
なぜか、「この人はきっとお坊さんだ」とも感じた.

突然虹色の大きなトカゲがのそりのそりと現れた.

自分の体よりも大きい異種の生き物に対して抱く、本能的な恐怖の後、
「このトカゲはあの老人を襲うのではないか」と不安になった.

トカゲが老人のそばを通りすがったその瞬間、信じられないスピードで老人の体が動きトカゲに抱き着いた.
餌を得るその瞬間だけ見せるカメレオンの俊敏な動きを思わせた.
この人はこのトカゲをとらえるために最後の力を残していたのだ、となぜかわかった
そしてその直後に二つの生き物は東屋のほとりにある池に落ちた.

池をのぞき込むと、虹色だったトカゲは真っ白になり、老人はおらず、ピンク色のもやが残っていた.


こうすることで、やっと不自由な肉体から精神が解放されたのだ、とあっけにとられる私の右隣で誰かが教えてくれた.
その人は男の人で徳の高いお坊さんか何かのように感じられた.

直後、現実のドアが開く音がした

母親が、祖父の訃報を伝えに来た音だった.

 

あの老人は祖父と何か関係があるのじゃないか、と思い始めたのは祖父の葬儀が終わってからのことだった.
思い返せば、祖父はずっと寝たきりで意識がなく、自由にならない体に魂をを閉じ込められているような状態だったからだ.

だとしてもうりぼうやトカゲが謎だった.
祖父は羊年で、その夢を見た1月2日は子年だった.
なぜ、わざわざ前の年の干支であるイノシシの子供が出てきたのだろう.

トカゲだってわからない.
ガラパゴス諸島にいるような大きさのトカゲだったし、何より虹色だった.
祖父が特にトカゲを愛していた事実もないし、ガラパゴス諸島に足を運んだこともない.

 

そんな謎を抱えたまま1年と10月が経ち、祖父の遺骨を納骨することになった.
兄と父の仲はすこしだけ氷解し、あの夜険悪なムードになったことなどなかったかのように私と父も会話をする.
兄は人生の転機を迎えスペインに行くことに決まっていた.
テレビをつけるとスペインのバルセロナが移っていた.
バルセロナで名高い観光地が、サグラダファミリア、グエル国立公園の順に移っていった.
画面を見て固まった.

あの虹色のトカゲがいたからだ.

どうして今まで気づかなかったんだろう.
スペインは祖父が初めて足を運んだ海外の地だ.
バルセロナに足を運んで長年の夢だった生のフラメンコの演奏を聴き、
サグラダファミリアやグエル国立公園に足を運んでいた.

でも、それでもまだなぜうりぼうが出てきたのかわからない.
やっぱり虹色のトカゲも、お坊さんもすべて私の脳みそが適当にでっち上げたものだったのかな.

「あなたのお父さんはいのしし年よ」

その一言でもう、まいった.

あれから私は夢を信じている.