ここから一番遠い海

夢日記,昔話

sign

Sleepless in Seattleという、80年代のロマンス映画の中で、ヒロインが使う「sign」という言い回しが好き。

 

「信号」、「しるし」、「記号」、「何かの兆候・前触れ」、「標識」

 

それら全てを含んだ、signという言葉は、説明できない偶然や運命的なことの成り行きを語るのに、これ以上ないくらいふさわしい。

「啓示」ではないところが好きなのだ。それは指示ではなく、「表れ」なのだ。

 

25歳の春、星野道夫の「旅をする木」をスーツケースの隙間にうずめてアメリカ大陸に渡った。

 

辛いときに会うことができない友人がいる。元気があるときしか会えない、明るい自分しか見せられない友人たち。

その一方で、どんなに元気がなくて言葉がうまくでなくて気持ちがどんよりしていても、ただ漫然と時間を過ごせる友人がいる。そういう奇特な友人の一人からもらったのが「旅をする木」だった。

 

遠い街に引っ越す彼女へのはなむけに明るい曲を詰め込んだCDを手渡すと、彼女が街を去った数か月後にぽん、と新しい住所から送られてきたのが、その本だった。

 

そのとき3週間だけ滞在したシアトルで、私はいろいろなことに気づいたり、出会ったり、出会いなおしたりした。

ルームメイトに誘われていやいや参加したホームパーティーで私は、私の手元にあるのとは別の、「旅をする木」と出会った。

最近迎え入れたというわがままでかわいい猫が彼女のうちの本棚の周りを遊んでいるせいで気づいた。

 

 

ずっと付き合っていた男に振られて消沈していた時に、この本をもって旅に出たの。

 

色々投げやりになって、もうどうせなら行ったことない、行きたいところに行こうと思い立って、この本をもってチベットの山に登りに行ったんだ。

登りきったところで、日本人の青年に会って。どうしてこんなとこで日本人に合わなきゃならないんだよ、てうんざりしてたんだけど、その人もこの本を持っていてさ。

その青年が夫なんだよね。

 

投げやりになってもうどうにでもなれって思ってこの本を持っているということはきっとあなたにも何かが起こるよ

 

友達にもらった本、投げやりになって渡ったシアトルという街、シアトルが舞台の映画で「sign」という言葉を使い運命をかたくなに信じるヒロイン、私と同じ本を持つ女性、その女性に訪れた転機

 

あ、signだ、と思った。

 

日本に帰ってから、それまで抱えていった憂鬱が少しずつ消えていった

シアトルに行ったことがあらゆることの転機になった、と思えるのはもうずいぶん経ってからだった。