ここから一番遠い海

夢日記,昔話

震災

2011年の震災のとき、電話もメールも一瞬で全く繋がらなくなってしまったのが怖くてTwitterのアカウントを作った。

メールや電話がダメになってもここで一言無事です、と呟けたら私とリアルで繋がっている友人(リア友って言葉もう聞かないな…)が家族にそれを伝えてくれるかもしれないと思ったから。

それくらい世の中が混沌としてた。

始めたばっかりのTwitterでは、「明日黒い雨が降りそれを浴びると被曝してガンで死ぬ」とか「政府が事実を隠蔽しているがこれは某国が仕掛けた戦争で東北地方はミサイルで壊滅している」とかそういうことがまことしやかに語られていた。

フェイクニュースって言葉がリテラシーとして染み付いている世代にはバカみたな昔話に聞こえるだろうか。

政治家でさえ何も状況のわかっていないその時、そういうばかばかしい情報、陰謀論を嘘だ!と言い切ることなんて全くできなくて毎日うっすら不安だった。

信憑性のないものを信じちゃいけない、ソースを確認する癖をつけろ、とあれほど2ちゃんねるのROMで学んでいたのに、そういう情報がもし万が一本当だったら…と思うと怖くて家族に見せてしまった私がいた。

「なんかでかい地震、怖かった…笑」っていう15時前のツイートからパタリと動きがなくなってしまったアカウントのbioに東北沿岸部在住☆なんて明るく書いてあるから夜中にまた怖くて悲しくて泣いた。

ニュースを見るたびに死者行方不明者の数がどんどん膨らんでいって、ある日その数がどれほど増えても何も感じなくなった。

 

5月にやっと入学できた大学での新歓でも、出身校や中高での部活に加えてだいたい「あの時何をしていたか」という話でいっぱいだった。皆どこか人がたくさん死んでしまったことを忘れようと馬鹿みたいに明るくお酒を飲んだりしていた。上級生に話を聞くと、電気とガスが止まった東北のこの街でどうにか電気のつくアパートがありその部屋に学友同士で身を寄せ合って暮らしていたらしい。

 

毎年春になると配られる健康診断票にはいっしょにアンケートが入っていて、「津波」とか「地震」って言葉を頑なに排除した設問に答えなきゃならなかった。

 

設問1.それを思い出すと眠れなくなる

とてもあてはまる・ややあてはまる・どちらでもない・あまり当てはまらない・全く当てはまらない

設問2.それに関するニュース、映像、文章を目にすることで気持ちが落ち込んだりする

とてもあてはまる・ややあてはまる・どちらでもない・あまり当てはまらない・全く当てはまらない

わたしは5つのどこにいるんだろうな。

それに関するニュースはもう日常で、目にすることで何を思うかなんてわからない。

 

あの日、ヘリコプターの中継映像でみた、濁流に飲み込まれる車。あの車に乗っていた人はいまどこにいるのかな。行方不明になったお母さんが乗っていた車が高い木の上に逆さまになって乗っかっているのを立ち尽くして見ていたあの男の子は今どこにいるのかな。その男の子の横で泣き崩れていたあの女性はあの男の子の叔母さんだったのかな。

そういうことが蘇るたびに心の中にある気持ちは五つのどれに当てはまるのかな。

 

震災から幾年か経った3月11日、海辺の街で亡くなった人を悼むイベントのボランティアに参加した。14時46分に風船にメッセージを乗せて飛ばす。

高校の先生に引率されてやってきた短いスカートの幼さの残る女の子たちが、「えー何年だっけ?にせんじゅうなんねん?」とカラフルな風船を前にはしゃいでいた時の気持ちはどうしたらいいんだろう。

 

ただのうのうと暖かい場所に居続けた私に何もいう資格はないとわかっているのにこんなものを書いてしまう。