ここから一番遠い海

夢日記,昔話

別に泣かせられなくて良い

カポーティの初期短編集「ここから世界が始まる」がハードカバーの時の表紙そのままに文庫化されているのを発見した!宝物を掘りあてた嬉しい気持ちで、休日特有の長い長いレジまでの行列に並ぶ。よろよろと小銭を出す先頭のご隠居さん達を幾人か見送り、嬉々としてキャッシュレス決済を完了させホクホクとした気持ちで書店を後にする。

しかし、家に持ち帰って帯をふと見ると、「泣けるカポーティ」と書いてある。「えっ」という小さな驚き、なんで??という疑問、わかってねえなあ…という非難めいた諦めが順番に去来する。カポーティを愛する読書家たちが、「あの短編には涙が止まらなくなっちゃってね…」と言うような感想を、ましてや賞賛の辞として贈るなんて、とてもじゃないけど思えない。そういえば、「暇と退屈の倫理学(國分功一郎)」の帯にも「哲学書で涙するとは思いませんでした」ってコメントがついてた。購入する前も読了した今もあの本の本編のどこで涙が出てくるのかさっぱりわからない。

 

もしかして、今どきの時代に好き好んで、読書という娯楽を享受する人は皆泣きたかったり最後の数行・結末に驚嘆したいのか?世の人は皆「泣ける」コンテンツ乞食になってしまったのか?もしかして私の方がマイノリティなのか?

 

そんなことを思ったり思わなかったりしながら、ずっと忘れられない大好きな短編のタイトルが目次に並んでるのを見て、あるべきものがきちんとそこに収まっていることに安堵する。好きな作家の本を繰り返し読んでいる時、結末への期待や高揚感の代わりに、慣れ親しんだ道をなぞっているような心地よさがあって、私はそれらを感じるために村上春樹カポーティ多和田葉子を読んでいる。

 

やっぱり泣きたくて読んでるわけじゃないんだよなあ。