失恋を引きずってしまってそこから進めない人の話を読んで疲れた。
すごくよくできた漫画だ。家に駆けこんで立ち尽くしたままボロボロ涙がとまらない主人公の様子とか。お前なんてもう過去の男だ!って言ってやりたいのに相手からしょうもない連絡が来るだけで心臓が跳ね上がる感じとか。私も、これ、やった。もう、勘弁して。読んだのは自分の癖にそんなことを思う。
どでかい失恋をしたことがある。6年とか10年とか長いこと誰かと時間を共有して、相手の中に自分が見えて、自分の中に相手が見えて、そういう熟した先に訪れる別れ。相手のことを忘れて前に進もうとするには、あまりに相手が自分の人生や魂に食い込みすぎている状態。その人と別れるという選択肢は自分の人生や魂から何かを無理やりに引きはがそうとする作業で地獄だということ。
でも本当に怖いのは「自分のこの後の人生がこの先もずっと『失恋後』として、それ以前の人生から二分され続けてしまうんじゃないか」という不安なのだ。
角田光代が何かで言っていたけど「できごとそのものに遭遇している時」よりも「できごとが起こる前、そのできごとを不安に思っている時」の方が怖いのだ。
「あの時彼・彼女と別れていなかったら今の自分はこんな風ではなくて」とか「本当は今も二人でこのカフェで笑い合っていたのかもしれないのに」とか、自分の身の回りに起きる出来事や感情、自分の今いる場所を別れちゃった相手とセットに考えてしまうのはしょうがない。だって相手のことが好きだったから。愛していたんだから。6年とか10年とか一緒にいたんだから。
でもこの考え方やしんどさはこのさきもずっとずっとずーっと続くのか?おばあちゃんになっても?ずっと「彼と添い遂げていたかもしれない私」と「彼と添い遂げられなかった現実の私」を対比させていくことで生きていくのか?私は?
この不安が一番しんどいのだ。「失恋後・失恋前」という二つの分割された時間でしか自分の人生を語れなくなってしまうんじゃないかというのが怖いのだ。
彼のことをや彼の思い出を思い出して涙が出ているとき。それは正直耐えられる。思いっきり泣けばいい。「好きなだけ泣く」、は、「失恋から立ち直る方法」とググってトップに出てくるやり方の1つだ。
私があの頃ずっと泣いていたのは、(彼が恋しいとか彼と付き合っていたころに戻りたいという思いも少なからずあったけど)「この先もずっとこんな感じなのか?」という不安からだった気がする。
創作物とはいえこういうものを見るとあの頃の自分を思い出してウッと息ができなくなる。
一瞬、時間認識がバグる。「今」とか「2022年」とか「仕事運がいい数年」とかじゃなく「失恋後(ポスト大恋愛)」になってしまう。
もしかして私は、まだ、「失恋後(ポスト大恋愛)」という時間認識から抜け出せていないのか?という怖さが胸に舞い降りる。(そういうのは寝ると大体消える)
付き合ってよかった、とか、その人と出会えてよかった、とか、それくらい人を真剣に愛することができてよかった、というのと失恋を引きずるのとは別の次元なのです。
失恋を引きずっていない状態で、かつ相手のことを大切に思う気持ちを持ち続け、相手と出会えたことに感謝することができ、新しく誰かを愛することは可能だ。
失恋を引きずってはいけません。引きずりすぎた失恋はもはやただの自己憐憫、呪いです。私たちには人を愛する力があります。