もう3年も前のことになるけど、勤めていた会社や、ひっきりなしに耳をつんざくような救急車のサイレンが聞こえるアパートがある練馬区が、東京が嫌で嫌でしょうがなかった時、小さな喫茶店によく足を運んだ。
レトロでかわいらしいプリンやフルーツポンチに年頃の子がきゃあきゃあいうような最近のああいうやつじゃなくて、日に焼けた背表紙のゴルゴ13とかコンビニでしか売っていない分厚さの課長島耕作なんかがずらっと並べられている、机がちょっとべとっとした、まあいわゆる「喫茶店」だ。
会社だったり会社の上司だったりとのやり取りの中で、自分という人間がちっとも理解されずただただ「オンナ」というラベルの付いた傀儡のようにいるのを求められて、だいぶ傷ついていた時期だったので、お洒落なカフェにいって可愛いパンケーキやパフェを食べる気力が全くわいてこなかった。
自分にとってそういった場所の刺激が強すぎたというのもあるけど、そういう場所に自分がそぐわない気がした。
対してその喫茶店はつらい時やテンションが上がらいないとき、その状態でいることを受け止めてくれる感じがあって好きだった。
今日ふとTwitterを見たら、BOOKS 青いカバのご主人がルノアールのことを「疲れた人々がその疲れを隠さなくていいお店」と表していて、自分の考えにぴたっとはまるその説明に、かつて腹も減っていないのに頼んでは食べていたあの喫茶店のカレーを思い出したのだった。
汚れきった大人の父にとっては、疲れた人々がその疲れを隠さなくていいお店であり、怪しげな会話がそこかしこから聞こえる店、なのですが…。
— BOOKS 青いカバ (@hippopotbase) September 2, 2023
私が求めているのは、カフェについてはエンターテインメントで、喫茶店に対しては癒しなのかもしれない。