ここから一番遠い海

夢日記,昔話

日記:自分との約束、自分との時間

連休初日が仕事だったのを取り戻そうと、車を借りてひとり海を見に行く。

空は灰色で、海もそれよかちょっと濃い灰色だ。

空の青と海の青がパキッと分かれているような晴天の日の海原の地平線も好き。だけど、こういうのっぺりと互いに混じり合ってるような空と海も悪くない。

 

晴れた日の海はどこまでも大きく吸い込まれそうで気持ち良い。今日の曇りの海はどこか閉鎖的な世界に閉じ込められてるみたいな気持ちを湧き起こさせる。ジムキャリーが出ていた、トゥルーマン・ショーの世界みたいに。

 

勇気を出してちょっとボートで漕ぎ出してみたら、空の色と海の色と全く同じ色の背景幕がドームの中に張り巡らされてるだけで、世界は自分が思ってるよりずっと小さかったりして。

 

また映画のことを思い出す。ルーニーマーラーが出ていた、Netflixの映画。死後の世界があることが証明されてしまってせいで皆どんどん生きるのをやめていく話。あの話の中でも海は、透明な灰色がかった空気の中にある砂浜だった。

 

砂浜に腰を下ろして目を閉じて耳をすませてみる。その場所にいた自分のことやその時間のことを忘れたくない時、よく、その場所に腰掛けて目を閉じて耳を澄ます。

 

良い大人になったなあとふと思う。自分のために、ひとり海にきた。誰かを誘ったりせず。自分のために、自分ときた。

 

大学生だったころ、よく「今のうちにしかできないことをたくさんしておいだ方が良いよ」と言われた。今のうちにしかできないこと、と言われても正直困った。将来困らないように今頑張らないと、と「未来を損なわないために存在する現在」を口酸っぱく言われてたのに、突然、「いつか失われる現在」になる。急に、「現在」という言葉が指の隙間からこぼれ落ちてく砂みたいに思えてくる。

 

「大学生らしい」「自由なこと」で「今しかでき無さそうなこと」をカレンダーの格子のひとつひとつのマスの中に詰め込んで、それを上手に消化して進級し卒業するのが「充実した学生生活を送ること」だと思ってた。きれいなカフェに行ったり、髪の色や髪型を奇抜なものにしたり、平日の空いてる時間を狙って買い物をしたり、バイトや部活に明け暮れたりしてみた。そういった「充実」してそうな喧騒の中に何かを見出せることはあんまりなかった。

 

自分が何をしたら満たされるのか全くわからなかった頃に比べると今の方が圧倒的に充実していて軽やかだ。同年代の友達の数の多寡や、話題のカフェにどれほど早くかつたくさんいったことがあるか、ではない。

海を見たいという自分との約束を守り、海を見たいというささやかな希望を自分自身で叶えたということなのだ。それだけでこんなに1日が美しく満ち足りている。たとえ海が、写真映えしないような灰色であっても。

 

目を開けると、打ち寄せる波の音や風の音が少し弱まった気がする。風向きが変わりほのかに潮の香りがする。

 

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良い休日であった。