ここから一番遠い海

夢日記,昔話

スタンプラリー

付き合っている人と実家のある北海道に遊びに行くことにした。
電話越しに、父親がはっと固まるような雰囲気を感じた気がした一瞬ののち、北海道のどこを通ってくるんだ、とか、車で来るのか、父親がと矢継ぎ早に聞いてきたりする。「いや別にそんな真剣な感じじゃなくてちょっとあってほしいくらいで」とかゴニョゴニョ返事をする。

 

成人してからか成人する前かよくわからないけど、いつからか私は父親のことを「大人」とか「庇護者」として期待してみないようになった。

父親は導火線が異様に短かった。完璧を求めまい、この人も人間なのだ、と何か小生意気なような諦観した心構えで父親と付き合うという選択は、海を隔てた距離に住んでることも相まってなかなかいろいろちょうどよかった。何より自分が父親に優しくいられる。季節の折に果物屋ら地酒やら海産物なんかを贈ったりということも気恥ずかしさなくできるようになった。

 

しかし、電話越しにはっとした父親の雰囲気やら、心なしか嬉しそうな声のトーンやらから、なんだかんだ言っても、私はかわいがられているんだな、と思わされるのだった。私はいくつになってもこの人の子供なんだな、と少し心がほどけるような気持ちになる。

 

今までの恋人を父親にあわせたことはない。母親には、一度だけ付き合っていた人を引きあわせたが、その後ほどなくしてその男とは別れてしまったし、それは母親が私の住む町に旅行がてらやってきたのがきっかけだった。今回とはちょっとわけが違う。私はただ、地元から遠く離れた函館の町でラッキーピエロのチャイニーズチキンバーガーを久しぶりに食べたかっただけなのですが、恋人のわくわくした表情や母親の期待交じりのLineなんかに返事をしていくうちにあれよあれよという間に、恋人を実家に連れて行くという旅程が仕上がっていた。

 

みんなこういうことをひょいひょいと超えて恋人同士という関係を深めたり結婚したりパートナーであると誓い合ったりしているのかと思うと一瞬気が遠くなった。なんだかスタンプラリーをしている気分になる。次はここにこれを、その次にこれを押して…となぞるべきルートをなぞり、果たすべき押印を果たしていくのだろうか。その途上に私はいるんだろうか。

 

梅雨・冬

新しく恋人ができてから、体が死体になっちゃったみたいに感じられる、あの精神的不調がなかなかない。回りくどい言い方になっちゃったけど、つまり、なんか調子がよい気がする。

 

誰かに大切にしてもらったりするだけでこんなに調子がよく毎日朗らかに過ごせるものなのか。

 

と思った矢先、私の精神的不調は結構、寒さと連動していたことを思い出す。特に11月中旬以降から3月までに毎年毎年、頭の芯に居座るえも言えないしんどさ、悲しみ、落ち込みに苦しんでいるんだった。12月なんてもう最悪なんですよね。

 

新しくできた恋人は私と真逆で梅雨が、鬱々とした悲しみ、落ち込みのスイッチらしく土曜日にあった際には完全に参っていた。梅雨と冬、韻は同じだが真逆の季節に私たちは精神的に停滞してしまうらしい。

 

彼が落ち込んだり、どうということもない人の言葉に傷つくさまがあんまりにも自分に似ていて、落ち込む時期が重なっていなくてよかったな、と思った。

日光になるべく当たる、お風呂につかる、ハーブティーを飲む、靴下をはく、ストレッチやマッサージをする。そういう「自律神経を整え」、「精神的不調を軽減する」と言われていることをやったところで頭の奥に染み付いたあの冷たい冷たい落ち込み、心をぐっと重くするあれはちっとも払しょくされない。

あれらを、まるで「コントロールできる」かのように期待を持たせないでほしい。あれらは結局コントロールできない。うまく付き合っていくこと、悪化させないことしかできないと私は思っている。

 

日当たりのいい部屋に2人で引っ越したいね、なんて恋人同士っぽい会話をしたりする。彼が朗らかに過ごせるようになれば良いんだけどな。

 

恋人ができて幸せではあるけどやっぱり生きていくのって大変だ。

あれから・新しく恋人ができる

片思いをしていた男の子に振られてから、なんでか急にいろいろなことが回りだした。こんなにいろいろ簡単にがらりと変わってくれるんなら、失恋する前にそういう流れが来てほしかった。そうしてくれたら、日々のあわただしさの中で、あの恋心がおのずとしぼんで消えていった気がするのに。

 

いや、それは嘘。

 

あれは忙しさなんかじゃ消えない、しつこい熱病みたいなものだったから、やっぱりああやってかっこ悪く玉砕するという荒療治をしないといけなかった。玉砕したのが引き金になっていろいろと変わったんだ、きっと。でも、真っ向から好きと告白して「あなたに興味はない」と真っ向から冷たく振られるのってやっぱり、真っ向から傷つくことだった。

 

そうやって思い出を反芻しては真っ向から傷つく晩を何回か繰り返していると、1度会ったきりの、全然別の、色白で細身で静かな声で優しそうに笑う4つ年下の男の子から連絡がきて二人でご飯に行くことになった。好きだった男の子に片思いしていた2年近く、浮いた話がぜんぜんなかったのに、急にアラサー向け漫画みたいな都合のいい展開になってキツネにつままれたみたいだった。小さいころのかなり特殊な経験を相手も同様にしていたりして、なんだか仕組まれたドラマのあらすじみたいだった。その人は何も悪くないのに、居心地が悪くてつかれた。

 

それからまた2週間、泣いたり悶々としたりして過ごしたていると、日に焼けて頬がふっくらとした、子供みたいな無邪気さをもった2つ年上の男の人と知り合った。よく話があって、気づいたら2人で出かける約束をしていた。出かける約束をするまでの過程で、男女間の駆け引きをしているとき特有の、計算じみた思考が片時も頭にかすめなかった。小学生の時「(放課後)いつもの公園で!」って友達と声を掛け合っていたみたいにどっちがどういうタイミングで何を言ったかよくわからないくらいに自然に2人でデートに行った。そうやって放課後の公園みたいな無邪気な時間を2度ほど繰り返した夜、意を決した相手が交際を促してちょうど3年ぶりくらいに恋人ができた。

 

片思いしていた男の子とご飯に行く約束をこぎつけるのに1年以上かかったのが信じられないくらい、トントンと拍子をとる音がしそうなくらいだった。好きだった男の子に片思いしていた最中、「うまくいくときはうまくいくし、うまくいかないときはうまくいかない」ってよく頭の中で唱えていたけど、それってやっぱり本当だったなって思ったりした。

 

なんか嫌な書き方になってしまったけど、今付き合っている恋人はやっぱりとてもいい人だし、うまくいくって心地よい。きれいな和音が、来るべきタイミングで響き続いている感じがする。

土の香り

水木しげるの「のんのんばあとオレ」のあとがきで、戦争のさなか、もげてしまった片腕から土の香りがしたというようなことが書いてあった気がする。土人という言葉が悪口なのはおかしいということを述べていた箇所だった気がする。土の香りがするってとっても素晴らしいことでそれを悪口として通用させている社会の方をいぶかしんでいるような文章だった気がする。

のんのんばあとオレ」の中の文章には、詩的でロマンティックな比喩表現があんまりなくて、だからこそ「もげた片腕から土の香りがした」というのが比喩でも詩でもないのがわかって頭を打たれたような気がした。

 

春が少しずつ近づいていることが体で、肌でわかるような空気の中、夕焼けと夜のはざまの空の下で土のにおいがして、そんなことを思い出した。記憶は定かじゃないけど、水木しげるは、腕がもげて高熱がでて、そのもうろうとした意識の中。自分の体から土の香りが立ち上っているのに気づいて「生きていける気がすると感じた」と言っていた気がする。

体がもげてしまうような出来事が当たり前ではないけど、それでもいろいろなことがままならなくて、人が木日々傷ついている世の中で、土の香りをかぐとふと、大きな時の流れを思い出して生きていける気がする。生き抜いていこう。

 

くろしおという名の船、black tideのビール

酔っ払ってフラフラになりながら、毎晩言いたくて眠る前に胸をキリキリさせてた「付き合ってください」を、好きな男の子に伝えた夜、本当はそういう言葉を伝える覚悟なんて全然なかった。

 

好きな男の子と、最近割とたくさんおしゃべりできていて、それが割と楽しくって、前みたいに恥ずかしさや緊張で年甲斐もなく顔が赤くならなくなってたから、今日なら自分が大好きな焼き鳥屋さんや美味しいポテトフライを出すお店で楽しくリラックスして一緒に過ごせる気がして、ちょっと頑張ってみようと思ってただけだった。

 

でもその時、好きな男の子に釣られて飲むことにしたクラフトビールの、青くてかわいいパッケージに、black tide brewingって文字とかYesssss!ってビールの名前なんかが書かれていて、それが「今日いうべき」というサインなんだと思ってしまったのだ。

 

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なにもYessssss!って言葉に彼からOKがもらえると浮き足だったわけではなくて。

Yesという英単語をパッとみた時に私が思い出すのは、ジョンレノンがオノヨーコの作品から受け取った、受容とか平和とか肯定的であるということへの大きな愛だ。

 

1966年、ロンドンのインディカ画廊で、オノ・ヨーコが発表した作品 "Ceiling Painting" は、部屋の中央に置いてある梯子を観客が昇って天井を虫眼鏡で覗くと小さな文字で「YES」と書いてあるものでした。これを見たジョン・レノンが、「その言葉がNOであったら失望したが、YESとあったので救われた」と述べたことは有名なエピソードとして知られています。本展のタイトル「YES」に込められているのは、肯定的にものごとをとらえてゆくオノ・ヨーコの作品や活動を象徴するものです。

https://www.arttowermito.or.jp/gallery/lineup/article_158.html

 

そして、black tide(くろしお)はいつか私が夢で好きな男の子に会いに行くために乗っていた船の名前だった。

夢の話 - ここから一番遠い海

 

パッケージを見た時にその二つのことがすっと脳裏によぎって、今日彼に気持ちを伝える、と言うことを何か大きな存在に肯定してもらえているような気がした。

 

夢の中でくろしおという船がどこにも辿り着かなかったように、結局私は現実でも彼には辿り着けなかった。サインと感じたものも要はただの偶然なのだとわかってる。でも、こう言う小さいことからポジティブなサインを受け取って、自分のためになる行動ができたのって私にとってはまさしく虫眼鏡の中のちいさな「Yes」くらい大きな出来事だった。

さようなら片思い

好きな男の子にフラれてしまいました。相手も自分が好きだったりするのかな…とすこぉーし期待して過ごす日々をかなり楽しんでた節があったので、やっぱり振られた時はちょっと、どころでなく、かなり、胸がずんと痛かったです。

 

好きな男の子はやっぱりあんまり職場の人と色恋沙汰がどうこう、みたいなことを考えない人で、これから先も今までもそんなふうには考えられないとかなりはっきり申し訳なさそうに言われました。そもそも恋人を作るつもりもこの先数年ない、と。それで良いんだと思います。私が変に期待したり希望を持ったりしなくて済むから。

好きな男の子に片思いしててかなり楽しかったけど、彼にずっと片想いできてしまうのがダメでした。ちょっと、これはちゃんと、ダメならダメと早めに区切りをつけないと、ズルズルずっと好きでいてしまうな、と思って、行動に移したその自分を褒めてやるしかないです。自分の思いに気づいてるのかな、とか、気づいてて何かこの距離のままでいたいのかな、とか、相手抜きにする一人相撲が最近辛かったのでこれで良かったんだと思います。私ももう大人なので、一人でそうやってヤキモキするようなのがずーっと続いてるのが、良い結末に向かう途中の状態としてはあまりに長いし、きっとこれは変化の途上の苦しみとかそう言うものじゃないと言うのはちゃんとわかってたのです。でも、頭でわかってることとその関係から実際に抜け出せることってやっぱ理全然次元が違って。その関係をやめたいけど、その関係自体が私の頭にしかないもので、新しく好きな人を作る、だとか、異動して物理的に距離を取る、みたいな荒療治ができない状態で。一度彼のことをかなり綺麗に諦められた時があったのだけど何故かまたこう言う状態に戻って。相手に何か宣言すると言うアクションでしかやめられなかった。

年下の男の子に、かなり申し訳なさそうな声色でそんな返事をさせちゃったこと、断ると言うかなり体力を使うことを強いてしまったこと、その時自分がかなり酔っ払ってたこと、相手には寝耳に水なタイミングであっただろうことが今になってかなりしんどくて、年上の人間として情けなくて、ちょっと、穴があったら埋まっていたい。

彼の姿を職場で見るたびに、本当にそういう浅慮だった自分が情けなく涙が出そうになります。もしかしたら失恋したことによる悲しみの涙なのかもしれないけど今の私にはこれがなんなのかわからない。

 

職場でどーしても顔を合わせる間柄、心の中の気まずさがどうしても拭えないけど、それは相手の方がそうなはずなので、なんでもないふりをして、私はもうただの同僚ですよと言うメッセージをさりげなく散りばめた言葉や態度でニコニコ毎日をやっていくしかない。

 

でもそういうしんどさと、昔大好きだった男とどうしようもない理由で別れてぼろぼろになってた時よりもかなり上手に付き合えている自分がいて、そのことに喜んでいたりもします。もう職場のトイレで本当に涙ぐんだりしないし。何より辛かった片思いが終わってちょっとホッとしてます。次にどんな人を好きになるのかな、と一通り自省・自己嫌悪のターンを終えた後に想像するのも楽しいです。

 

幸あれ、自分。

共通テスト・シアトル・学位論文

気づいたら二月になっててびっくりした。

1月って大学で学生さんたちと向き合ってると、大学受験生たちの対応だったり、学位論文の追い込みにあれやこれやと気を揉んだり厳しい言葉や優しい言葉を緩急つけて投げかけたり、若者の人生を左右しかねない大切な締切や事務手続きに関する伝言ゲームをうまくやりこなそうとしたりしなくちゃならなくて、目が回りそうなくらい忙しかった。

 

共通テストの試験監督をしていた一日、大きな教室全体でたくさんの若者がいるのにそこは本当に静かだった。彼らのためにポカリスエットのCMみたいなBGMが鳴ることもなければ、試験用紙へ咆哮するものもいない。深海のような静けさの中、自分が受験生だった時のこと、合格発表に涙したこと、その2日後に大きな地震が起きて津波でたくさんの人が死んだことを思ったりした。時の流れは残酷だ、と思わない。当時の私と同じ年の若者たちの紅潮した頬や試験用紙に刮目する様子から、時が流れていくということの有り難さというか美しさみたいなのを勝手に感じてちょっと、なんでか、涙が出そうになった。

 

試験監督を終えると、ずいぶん昔、まだ私が大学の四年生だった頃、父親とも兄とも先輩とも違う独特の優しい、でも優しさと感じさせないひょうきんさでもって、私の行く末を照らしてくれた先生が新幹線で行けるくらいの距離の大学で教授になったと言うニュースが飛び込んできた。めでたい!

 

そんな嬉しいニュースのちょっと前に、シアトルにまた行くことができたりもした。孤独で尖った博士の学生だった時、単身ふらりと訪れた私をあたたかく受け入れてくれた海辺の街。

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体が震えるくらいいろんなことが不安で孤独だった時、そう言う気持ちに反するみたいに人に距離を縮められるのが苦手だった。シアトルで出会ったおせっかいで優しくてずかずかと人を色々なところに連れ回すルームメイトに、「案外人との距離ってこれくらい近くてもいやじゃないものなんだな」と、納得しちゃったのだった。

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彼女と彼女の愛犬にまた会えて言葉にできないくらい、嬉しかった。

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年末はかなり暗澹とした気持ちでいたけど、年が明けていろんな人と出会って、学生たちに手を焼いたり一緒に喜んだりしてるうちにそう言う鬱々とした気持ちが少しずつ小さくなっていった。一月、楽しかった。