ここから一番遠い海

夢日記,昔話

喪失を抱えて生きる

エヴァンゲリオンを劇場で見た日の夜にちょうど宇多田ヒカルのインスタライブがあった.

宇多田ヒカルはいつも丁度良い距離感でよい言葉をくれる.
隣の部屋の住んでるお姉さんだったらよかったのに.
私は彼女の歌だけじゃなくて彼女の生き方とか,話している言葉も好きだ.
喪失を抱えて生きていく,というようなことを話していた.
喪失を自分の一部だと認めることができた時初めて喪失は「欠乏(lack)」ではなくなるんだと思う.
そういうことを,生きてきた中できちんと理解して,言葉にできて,適切なタイミングで気さくに人に教えてあげられる宇多田ヒカルが好き.

宇多田ヒカルエヴァンゲリオンの劇場歌を歌っているから,いやおうなしに,エヴァンゲリオンのキャラクターのことと重ねてしまう.

庵野監督が「欠けているものに魅力を感じる」というようなことを言っていたのを思い出す.
碇ゲンドウ碇ユイをなくして,喪失を抱えて生きていくことができなくって,喪失を喪失と認められなくて,必死にエヴァンゲリオンを作り続けていたんだろうな.

ふっと別れた恋人のことを思い出す.
もちろん彼は身体的には元気だけど,「私たち」という主語を使うと,
彼と私の関係は「喪失」に分類される.

だいぶ昔,別の男との関係が終わった時,「恋人との関係を喪失した」という事実と現状を釣り合わせるため,いろんなものを捨てて捨てて捨てまくったことがあった.

もらったぬいぐるみも捨てたし,ネックレスもどこかに消えた.
結局そんなことしてもつらさはぬぐえなかった.

ようやく楽になれたのは,「たとえ二人の関係が終わろうと相手のことを大切に思うことはやめなくていい」,とか「関係が終わっても二人で楽しかった思い出までなかったことにしたり否定したりしなくていい」というわりとありきたりなことが腑に落ちた時だった.

喪失も含めて自分なのでしょう.
失ってしまった彼との関係も含めて私という人間なのだとやっとわかったのです.

そういうわけで,今回の失恋では,別れたばかりの元恋人がリサイクルショップよろしく私に押し付けてきた意味の分からない雑貨以外は捨てていない.
物を捨てようとも,教えてもらった知識や彼のおかげで開けた世界,嗜好はずっと私の一部なのだ.

碇ゲンドウにならずに済んだようです.

 

(20210705記)