ここから一番遠い海

夢日記,昔話

かつて神様だった男

最近知り合った年下の大学院生の男の子とお酒を飲んでいたら、「好きな人への思いが信仰に似ている」という話になった。

彼がまだかわいげの残るあどけない中学生だった時分、ガールフレンドに別れを告げられる際に添えられた「もっと誠実な人だと思っていたのに」という言葉が忘れられないという。

「もっと誠実な人だと思っていたのに」の後に続く言葉を考えてものすごいショックを受けたんだろうな、目の前のこの青年は。

 

以来、「誠実たれ」「皆に優しくあれ」というのをモットーに、そのガールフレンドに認めてもらえるような男になろうと現在までを生き抜いてきたし、これから先もそうやって生きていくことになると思う、と彼が続けていく。

 

「自分にとって彼女は運動でも勉強でも、音楽や漫画、映画の知識でもすべて自分の先を言っている、どこか手の届かないまぶしい存在だったんです」

「そういう彼女への憧憬や、彼女の言葉に沿った生き方をしようとする自分の態度を哲学専攻の友達に話したら『宗教家に似ている』って言われたんです」

 

そういう、過去から現在に渡って、自分がよりよくあろうとする態度の源泉になるような人を、心の中に飼うのって、「失恋をひきずる」だなんて簡単に片づけちゃいけない、すごく良いことのような気がしてくる。さっきまで、目の前の青年を「昔の彼女の言葉を10年にわたってひきずっている感受性の強い男の子」と思っていたのに。

 

やいのやいの話を進めていくうちに気づいたのが、私も「そちら側」の人間だということだった。

もう別れてしまった過去の恋人に片思いをしていたころ抱いていた気持ちは確かに「信仰」に似ていた。

夜眠る前にその人のことを考えるとぐっすりと眠れたし、その人の存在を想うことで自分一人では出しえなかったような力が湧いてきた。彼にもらう言葉は特別に重みがあったし、心の中にいつも彼を飼っていて、思い出の中に蘇る彼は周りから浮くように輝いた存在だった。その人の生き方や心のあり様に少しでも近づきたいと渇望しているのに、そう思うほどにその人のことを遠い存在に感じていく。性的な欲求とは明らかに違う心の機微。

 

あれは信仰だったのだな。

あの頃の私にとって彼は神様だったのだ。この、経済学専攻の大学院生にとって、中学時代のガールフレンドがいまだそうであるように。

 

明日、どうしても避けられない仕事の用事で、私にとってかつて神様だった男に会う。

今はただ人間になってしまった男に会って、ハンバーグ定食かパスタセットか食券機の前で悩み、二人どうということもない会話をして、解散する。