小椋佳のさらば青春を聴いて育ったせいだと思うが、「黒い犬」という単語にずっと不吉な印象を持っていた
見るがいい
黒い犬がえものさがして かけて行く
少女よ 泣くのはお止め
空も海も月も星も
みんな みんな
うつろな輝きだ
父親がよく車で聴いていた歌だ。
「不吉な単語」というものを超えて黒い犬に出会ったのは一人ぼっちの時だった。
現実の黒い犬は優しくて暖かった。
不安や心細さでうまく言葉が出ない夜にずっと背中を撫でさせてもらったり、寒い朝に膝を貸してあげたりした。
私よりもずっと英語を理解できるのにも私よりもずっと臆病で優しく素直だった。
くりんくりんの毛の奥に光る瞳も、大きな体に似合わないかわいい水色のスタイも、不吉さとは程遠く、ただただ優しい存在だった。
きっともう彼と会うことはないんだろうなと思う。
私たちは「会いたい」というそれだけの理由で会いに行くにはあまりにも遠く暮らしている。
でも、ユニクロで買ったやすいフリースを羽織って電車に揺られ、うとうとするその瞬間、鼻先にあたるふさふさとした触感のおかげで私は思い出の中の黒い犬に会える。
もう会うことはできないけどこういう形で再会することはできる。