ここから一番遠い海

夢日記,昔話

愛情の象徴

亡くなった祖母にまつわる、さみしくて悲しい夢を2度ほど見たことを、その筋の人に相談してみることにした。

 

 

学問を突き詰めようとする職業の人間が目に見えないものを信じるのかと笑われるかもしれないが、私は「目に見えないものがある」、ということをなんとなく信じている。

もちろん、目に見えないからこそ、そのことについて嘘を言い人をだましお金を儲けようとする人もいる。そういう人たちに騙されないように気を付けなくてはならないが。

ものを売りつけようとする人、必要以上に話を長引かせる人、カタカナ言葉を多用する人、物事に必要以上の霊的な意味を見出そうとする人、そういう人を避けてたどり着いた信頼のおけるその人に夢のことを話すと、数分ほどの沈黙ののち、

「あなたにとっての愛情の象徴としておばあさんが表れている」

と言われる。

 

祖母の遺志や心残りに関する意味はなかったらしい。

夢の中の祖母との邂逅でさみしい、悲しいという気持ちを覚えるのは私自身が何か愛情をうまく表すことができない、受け取れないという現状を表している、らしい。

 

うなずけることがある解釈で、いくつか小さな質問を投げかけたのち、お礼を言って電話を切った。

 

「愛情の象徴」、という言葉に暖かいものを感じる。

 

私は、

プライドとは、自分が受けてきた愛を守る力のことです。

と言う江原啓之さんの言葉が好きで、この言葉を思い出すのと同時にいつも頭に浮かぶのが母親と祖母のことだった。

 

もう一つ、セットで思い出すのが、辻仁成のブログだ。

おばあちゃんが亡くなる前に、ぼくはある大事な伝言を預かることになる。
「ひとなり、お前にだけは言っておく。私はもうすぐ、この世から去る。でも、それを悲しむな。お前にだけは言っておく。わしはお前を遠くから見守る。おじいちゃんは死んだら終わりだったが、わしはお前を見守る。お前がこれから苦しいと思うことがあったらわしのことを思い出せ。わしが遠くからお前に力をおくる。死んだら人間の肉体は終わるが、わしの霊魂はお前のそばにいる。いいか、お前がわしを思い出す時、そこにわしがいるということを思い出せ。お前がわしを思い出す時、わしはまだこの世でお前を守ることが出来る。必ず出来る」

 

www.designstoriesinc.com

 

 

辻さんと江原さんの言葉を借りて言うのなら、私は祖母を、愛情の象徴を思い出すたび、自分自身に向けられていた大きな愛に足るように自分で自分を適切に守り大事にしていこうと思える。

 

おばあちゃんはその後死んだ。でも、あれからずいぶんと月日が流れているけど、時々、ぼくはおばあちゃんのことを思い出す。そして、あの日の言葉を思い出す。『お前がわしを思い出す時、いいか、わしはそこにいる』